ユニバレ・・・もはや日本人なら誰もが知っている言葉だと言えるのかも知れません。何ならトリプルスリーなどよりも、よっぽど有名なワードでしょう。そしてもしかしたら諸外国でも言い方は違えど、似たような意味合いの言葉が存在するのかもしれないです。
改めて書くことでもないですが、着ている服がユニクロのものであることがバレること、という意味であるユニバレ。
いや、バレるのが嫌なら買わなきゃいいじゃん、着なきゃいいじゃん、ってことはあまり誰も言わないのも不思議だねユニバレ。
失われた20年とか言われる超絶不景気の最中とにかく安いものをという気運の中ではユニクロが最適な選択肢であり、そのために売上を伸ばすユニクロに客を奪われた既存のショップは次々と閉店したため服を買う場所がユニクロしか無いという状況があり、人々の諦めとため息を栄養分として成長したユニクロ。
そしてまたシンプルでベーシックなアイテムをメインにしたため、服を買うというよりも生活必需品を買う感覚で客が集まるユニクロ。かつてユニクロはダサいとか言われて(もちろん今でもそう言う人はいますが)いたものを、「カッコ良い悪い」から「使える使えない」の土俵に乗り換えたユニクロ。
もちろん服でありますから多少の「オシャレかどうか」「イケてるかイケてないか」みたいな視点はあるでしょう。ユニクロ自身も、「トレンド」とか「着こなし」とか言うワードを自分のところの商品広告に使っています。扱っている商品が服であるため自然とそのようなワードを使うことになっているのだとは思いますが。
一般の人たちにとっては単に衣食住の衣をまかなうところにあるユニクロ、服好きの人たちにとってはシンプル故に使えるものも多少はあるというユニクロ。中には、ユニクロだけでお洒落に見せられるかというテーマに挑戦する人たちも少なからず存在することでしょう。
ただ一般人も服好きもどちらも気にしているのが「ユニバレを避けること」でありました。といってもそれは「ユニクロを着ていることを隠す」とはまた意味が異なるのですね。
ユニクロを着ている人は自分から進んでユニクロだと言います。友達から「イイ服だね」と言われたとしたら「これユニクロのなんだ」と言います。「エッ!? こんなのがユニクロで売ってるの?」っていう反応が帰って来るのを期待して。
しかし慣れてくるとそんな反応はどうでもよくなります。どうでもいいけどお約束のように言ってしまいます。「これユニクロの服やねん」
ところが自分が言う前に、ユニクロの服を着ているとわかるのはイヤなのです。自分から言うクセに、自分が言う前に気付かれるのはイヤなのです。あくまでユニクロではない「普通の」服を着ていると思われたいのです。
かつてはユニクロもその辺りを認識してか、あまりユニクロを主張していなかったように思います。
例えばネルシャツやパーカの首のところのタグですが、以前のものは英語がズラズラっと書かれたデザインのもので、見ただけではどこの会社の製品かはわからないものでした。
しかし今、というか数年まえからそれが変化しています。シャツやパーカのタグもはっきり「ユニクロUNIQLO」と書かれているものになっています。
多分何らかの意識改革のようなものがあったのでしょう。もっと自信をつけていこうと。もっとユニクロUNIQLOを主張しようと。
そしてそのユニクロUNIQLOの主張はさらに進んでいます。皆さんも既にご存知でしょう、アウターやトップスの裾部分の四角マーク。何でしょう、あれは。もうユニクロのほとんどのアウターについていますね。さすがにテーラードジャケットタイプには付けてないようですが、今後どうなるかわかりません。
quote:https://www.google.co.jp
せっかく「これはちょっと使えそうだな」と思って購入意識が高まっても、裾のマークを見た途端、そっと商品を陳列に戻したという経験がどなたもおありじゃないでしょうか。「速攻ユニバレやんけ」ってなもんですし、意味もなく変な四角マークが並んだ服など、ユニクロじゃなくても買う気にならんでしょう。
さらに先日はパンツにまでこの四角いマークが付いているのを見たのですが、このときにフト思ったのです。パンツにまでこのユニクロUNIQLO四角をつけるということは、このマークがついたアウターが普通に売れているからだろうと。つまり一発でユニバレするアイテムを、何の躊躇もなく買い求める人が後を絶たないのではないのか、と。
そしてその私の予想を裏付けるような事象に間もなく出会うことになります。ある日、前を歩く人の服の裾部分に四角のマークが。
例えばウルトラライトダウンだったか、ユニクロで大売れしたというダウンがあり、実際ユニクロでそのダウンを持ってレジに並ぶ人を多数見たものですが、遂に街中でそれを着た人を見たことはありませんでした。
人気があるらしいから取りあえず買ってはみたものの、多くの人はやはり外で着るのは恥ずかしいと思って着ないんだろうなと思ったものです。
しかし、今現実に四角マークをチラつかせて街を闊歩する人が現れたのです。そして最初の衝撃から幾日も経たないうちにさらにまた1人、四角マークがついたアウターを着ている人の姿が。
そうです、かつて私達の心に確かに存在した「ユニバレ」を避けるという考えが崩壊し始める事態になってきたようです。「ユニバレ」が恥ずかしいといった思いはすでに無く、「ユニバレ」って何?といった時代になるのもそう遠くないかもしれません。
というか、もうこれはユニバレとかいう生易しいものではなく、ユニクロ着用をアピールしていることになるわけですね。四角マークを堂々と着ちゃっているのですから。「僕、ユニクロ着てるんだよ」と。
気になります。人の感覚が。裾に変なマークが入ったものを堂々と着るという感覚が。
たかが四角2つ並んだだけじゃないか。
確かにそうです。ただ四角2つです。
しかし例え安く買えるからといって、そのような変なデザインのものを恥ずかしげもなく街中に着ていけるという感覚が心配です。
買って着る人が悪いのか、そんなものを作って売る方が悪いのか。
変なデザインを安い値段で大量に用意され、盲目的に購入する人々の群れ。
美的センスも狂わされ、その狂ったセンスがいつしか常識とされる世界。
まるで、SFのような物語を想像してしまうような・・・・・。何をそんな大層なことをと笑われるでしょうが、しかし、この私の駄文、全くナンセンスとは言えないのではないか、と。
ユニバレとは人が元々持っている感覚から自然発生的に湧き起こった概念。だからこそ長年誰にでも通じる言葉であり続けたのです。ユニバレを気にするかしないかの議論は方方でなされていますが、それも人が持っている感覚・センスがあればこその話ですよね。
その根源的ともいえる感覚は保ち続けたいもの。何でもありの世の中にあって、道の駅で寝泊まりする世の中にあって、海から上がった水着のままで街をうろつく世の中にあって、しかしせめて四角マークに対する抵抗感の欠落だけは防ぎたいじゃありませんか。
そうでないと、ユニバレが恥ずかしかった頃に戻りたくても戻れなくなりますよ。
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