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カラーとデザインからファッションまで、ちょっとした気づき

ショップの値札(プライスタグ)が見つけにくいその理由は

服屋に行って服の値段見ようと思ったらどこに書いてるかわからん、ってな経験ありますよね。

 

この服いくらなんだろう、どこかに値札あるはずだけど。

ところが困ったことに、どこを探すも値段の場所がわからない。

 

洋服の価格。大体背襟のタグに結わえられた札などに記されているものですが、それを見るとき引っ張り出しますよね。でも、引っ張り出す時ちょっと気を使いますよね、店員さんの視線とか気になります。見られてたら出しにくいですよね。だからあっち向いてる時に出すんですよね。でも多分店員さんは「今値段見とるな」って思いながら横目で様子を伺ってるんでしょうね。

 

さあ、とにかく札を引っ張り出しました。ていうか、この札も素直にすっと引っ張り出せるようになっていない場合も多数。札を服の中でただ垂らしているんじゃなくて、ボタンのところとかに引っ掛けるようにしてある場合も。こうなるとちょっと厄介、時間がかかる。多分これはなるたけ値段を見せないようにしたいという店側の想いなのか、ブランド側の思いなのか、どうなんでしょう。

 

本文の内容とは関係ありません

 

 そして引っ張り出した札に値段が書いてあればまだいい。なんとそこには英語でつらつらと何かが書かれたものと、使っている素材についての説明のものと、そんな札があるのみで肝心の値段は書かれていない。このとき余裕があれば、他に札がないか探してみます。引っ張り出せていない札がないかどうか、背襟じゃなく別のところにつけているのかどうか。ブランドによっては(それともショップによっては)別の部分に値札(プライスタグ)が取り付けられていたりすることがあります。

 

しかし、なんというかあまり値札(プライスタグ)を探してわちゃわちゃしているのもどうかという気分になってきますし、服を変に弄り回すみたいでなんだか気がひける。だからもうそのアイテムの値段を知るのは諦める。ショップもしくはブランドもそうなることを狙っているのかもしれないなと思いながら。でも狙いの目的は何かと考えるとそのメリットもわからないので、これはもう単なる習慣みたいなものなのかも。”分かりにくいのがカッコイイ”ってやつですね。やつですねってそんなカッコよさがあるんですか?

 

ファッションの世界はイメージとかカッコつけてなんぼとか、ブランドの世界観がどうとか、ってありますよね。ドーンと値札ぶら下げて陳列するのは世界観に合わないですよね。もっとカッコよくディスプレイしないといけない。トータルコンセプトが大事。

値札(プライスタグ)見るよりまずは服を見ろ、我々の世界観を共有している人に着て欲しい、いや売れたらいいのでみなさんに私たちの世界観に触れてもらいたい、慣れてもらいたい、受け入れてもらいたい、どんとこい。

 

ていうか、店員さんに聞いたらいいじゃない、って思う人もいるかもしれませんね。しかし聞けませんよね。いや聞いてもいいですけど、実際聞くだけで終わりますかってことですよ。そこから長々と説明が始まるかもしれないですね。大体手を触れただけでいきなり説明しだす店員もいますからね。ちょっとデザインを見ようとしただけですよ。店員は話しながらその服をラックから取って、店の棚の上に広げ話しを続け、さらに別のアイテムを持って着て「こういう風に合わせることもできます」なんてやるのですね。いやこっちはもっと他に興味のある服があるんだけど、と思っても言いづらい。もうね、店に入って目的の商品に直行するのが基本であり、たまたまちょっと気になった服があったとしてもそれは完全無視という態度でないとまともな買い物も出来ないってタイプのお店というのがあるんですよね。

 

大分話が逸れましたが、つまり言いたいことは、聞いてもいないのに長話される可能性がある服屋において、こっちからわざわざ値段を聞くようなことをすれば、これはもう無駄な時間を自分から招き寄せるみたいなものなんです。値段聞くぐらいだから興味あるんだろうと思われて。

 

そしてもう一つの懸念。それは店員が値段を知ってるかどうかも怪しいんですよ。えっ、自分のとこの商品なんだからそれぐらい知ってるでしょうって、いえいえそれが即答できないぐらいはまあ仕方ないとして、誰かに聞くとか調べるとかすればいいんですけど、いや何かレジのところでガサゴソしてみたり、パソコンで調べてみたり、ってことをして何だかもう別にいいやってぐらいのところでやっとこさあやふやな様子で「○○円になります」って、その値段が本当に間違いないかどうかも心配になるさ。

あっでも値段を知らなかったとしても、店員なら値札(プライスタグ)をすぐに見つけてくれるでしょうって思ってます?。でもね、もう言いたいことはお分かりでしょう。店員も見つけられないんです、値札(プライスタグ)が。どこなんですかね、といった様子であちこちひっくり返したりしてもう手が付けられない。本当に値札(プライスタグ)がないのかもしれないし、どうなんでしょうね。

 

何故いきなりこんな話をしたかと言いますと、こんな記事を見たからです。

衣類の”プライスタグ"は隠すべきものなのか?

 

やっぱり誰もが洋服の値段がわからないという同じような経験をしているのだなあと。そして値札(プライスタグ)が見つからないとその商品を買うのも諦めてしまうというのも、自分だけじゃなく多くの人が経験しているんだなと。

 

この記事内では、ファッション業界の方で値札(プライスタグ)の位置を統一するようにすべきではないか、と書かれています。しかし同時にファッション業界の理想と、我々の買い物のしやすさとでは、大きな隔たりがあるとも。

 

まあ先にも書きましたが、ファッションの世界はイメージが大切、カッコつけることが大切というのもわかります。値段をデカい字でわかりやすく表示するとか、少し離れたところからでも○万円とわかるようにしておくとか、実際にやろうとすると気取った部分がなくなってしまう、何だかちょっとカッコつかない、オシャレじゃないって感覚。

 

その感覚も今後変化していくかもしれません。価値観が大きく変わっています。ネット通販で服を買う時代、わかりやすい方が利用しやすいし、そうなると実際の店舗はイメージや世界観だけではやっていきづらくなるかもしれないですね。

かといって、いきなり陳列を値段帯でわかりやすくとか、とにかく買い物客がストレスなく知りたい情報を得られるということに注力しすぎると、今度は商品の魅力自体が損なわれはしないか。

何でもはっきりわかりゃいいもんじゃない。高いなら高いなりに、こだわるならこだわるなりに、主張したいものがある。それをどう伝えるか、どう知るかなんですかね、なんですかね~。

 

いいものを買ったと満足したいですよね、買う側は。だから値段がわかりにくくても、最終的に気に入った買い物が出来れば良いとも言えますね。

その店独特の雰囲気、値段を聞くのが野暮ったい行為のように感じてしまって気がひけることももちろんあります。しかし、そんな世界観であるからこそ選ぶ意味がある服もあるような気がします。

ただそこで、値段がわからないので買うのを諦めてしまうような店ではいけない、ということでしょうね。

 

店やブランドのこだわりがある中でも、顧客にとっては買いやすい方がいいし、親切な店員の方がいいでしょう。それに店であり販売しているのであるからには、自分たちの持つ世界観とは別の軸で、買う人に対して配慮するべきものがあるでしょう。

世界観と利便性の両立をテーマに日々躍進していってもらいたいものですね。

 

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 服を買うのは単に物を買うだけでなく、生き方やスタイルに結びつく何かも同時に手に入れることであると言われます。ファッションはライフスタイルを指す言葉でもあることから、ブランドの世界観にもお金を出しているというわけです。

 

ならばそれを提供する側にも自分たちの表現の仕方や手段があるのは当然。提供する側にこだわりがあるから、買う側も自分のこだわりに合うかどうかを判断しやすいとも言えます。

って、こんな話になると延々と続いていきそうなので、また別の機会にちょくちょくと取り上げていければと思います。

 

それでは、また。

 

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