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ファッションをもっと気楽に感じたい

「差別化」そして「量産型」・・・気になるファッション用語?について

差別化って必要ですか

オシャレになるには周囲との「差別化」が必要という記事、よく見かけます。周りの人と同じでは目立たないし、それはオシャレじゃない、ってな論理が展開されていますね。


果たしてそうなのか。

目立つからオシャレなのでしょうか?

目立つとまではいかなくても、どこかで違いをつけなければオシャレじゃないのでしょうか?


というか、「差別化」してオシャレになることが、本当の目的なのでしょうか?


そんな疑問が湧いてきませんか。

 

オシャレな服、オシャレな着こなし・・・人によって好みの違いがあるので一概に言えないですが、まあ大抵の人がオシャレと感じる服や着こなしがありますよね。
雑誌でも”今はこう着るのがオシャレ!!”ってやってますし、オシャレな人のスナップの紹介もあります。
そういった諸々を参考にして自分が満足できる服装ができればそれでいいじゃないですか。

 

オシャレな服を着ればオシャレなんですよ。余程変な合わせ方をしない限り。だからオシャレな着こなしというものがあるのです。


もちろんその人に似合うか似合わないかという問題は出てきます。しかしここでいう「差別化」とはまた別の話です。その人に似合う着こなしであっても、周囲も同じファッションならば「差別化」出来てないのでオシャレにならないというのが、「差別化」の理屈ですからね。

 

人それぞれに好みがあります。ファッションのトレンドも一つだけではありません。例えば2016年のトレンドとしては、タッキー、アスレジャー、ビッグシルエット、ワイドパンツ、そしてノームコアの流れもまだ続いています。さらに、デニム、ミリタリー、カーキやベージュといったナチュラル系カラーもそうですね。
好みとトレンドを重ね合わせれば様々なバリエーションに到達するはず。わざわざ「差別化」を意識する必要もありません。

  

量産型を恐れるな

まあしかしですね、トレンドの中で特定の着こなしに人気が集まり、そこに皆が集中して似たような恰好の人が街に溢れることもあるでしょう。それを指していうのが「量産型」であり、この場合の「量産型」はネガティブなイメージで語られるものです。
そして「量産型」ファッションから脱け出そう、という意味で「差別化」を推奨していると。

 

確かに同じような服装で被りまくりというのもどうかとは思います。だから少し変化をつけたいな、と思うのは自然な考えでしょう。

ただ、量産型を避けることに注力しすぎて、差別化に必死になるのもどうかということですね。


「差別化を図るにはどうすればいいのか」というテーマでああしろこうしろと、役に立つのか立たないのか(まあ立つんでしょうけど)数多くのアドバイスがネットなどのメディアで散乱しています。思いつくままに書き殴ったのじゃないかと思えるようなものもありますがね。

 

そういったものを鵜呑みにして手当たり次第に取り入れてしまうと多分収拾がつかなくなるでしょう。せっかく見つけた「オシャレ」な着こなしを、自分に似合う「オシャレ」を、ただ「差別化」のためというだけで崩してしまうのですから。

 

こうすれば差別化出来ますという着こなし術が、オシャレだとは限らないのですから。差別化のために加えたアイテムがダサいアイテムでないとも限らないのですから。差別化対策を書いた人が、自分が書いた記事通りの恰好を普段しているかどうかは不明なのですから。単なる思い付きで書いたかもしれないのですから。


思い付きでなくても、1,2か月したら全く別の着こなしを提唱しているかもしれないですよ。愚直に信じて真似し続けている方がいつまでもダサいままってことにもなりかねない。

 

「量産型」を恐れるなってことです。大学で、コミュニティで、自分と似たような服の人たちと一緒であっても、別の場所では自分だけ。そのときにダサいのかダサくないのかです。

差別化が達成できても、そのために「どこに行ってもダサい」のでは話にならないってことですよ。

 

だからオシャレに慣れたファッショニスタは別として、我々一般の服好きたちは、まず自分のオシャレを考えるべきなんですよ。自然にカッコよくスタイリッシュになれればいいんです。

 

目立つことがオシャレではない

差別化はそこからの話。それもいきなり周りとハッキリと違いのわかるようなアイテム使いは避けましょう。変に目立ってオシャレなはずがないでしょう。

差別化対策を見ていると、余計なものを身に着けたりするパターンも見受けられますね。本当に必要がないなら使わない方がよいでしょう。

差別化だけを目的とした、アイテム使いや着こなしは、オシャレに疲れを感じる原因となります。ファッションが面倒くさくなります。


目立つからオシャレではありませんね。オシャレだから目立つことはあるかもしれませんが。

 

オシャレな着こなしとオシャレでない着こなしには当然違いはあるでしょうが、少なくとも量産型を避けることを目的とした違いが自然なオシャレとなることはありません。


服装を変えることによって自分に自信を持ちたい、という人もいるでしょう。
ダサくないファッションを身につけて、堂々としていたい、という人もいるでしょう。
オシャレになってモテたいという人もいますね。

 

「差別化」とか「量産型」とかを気にしだすと、一生それにつきまとわれますよ。
今は「差別化」であり「量産型」と言われます。が、しばらくすれば異なる言葉になって同じような考えが広まるでしょう、多分。

 

何故そうなるのか?人との比較で生きてるからですね。
そうじゃなくて、自分がどうなのか、を大切にしましょう。自分がオシャレかどうかを大切にしましょう。

人と違うからでも同じだからでもなく、オシャレだからオシャレ、です。

 

話が逸れました。

 

もちろんファッションは楽しむためにあるものです。
だから「差別化」も楽しんでする分にはいいんです。
「量産型」について考えるのも、だから楽しく差別化してみようっていう風にとらえるならばいいんです。


「差別化とは」って堅苦しく考えるのでなく、軽く違いをつけてみましょう。
いつもと少し違うアイテムを足してみましょう。気に入らなければ取り外しましょう。それでいいんです。

 

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