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カラーとデザインからファッションまで、ちょっとした気づき

オシャレを特に目指すわけではない その2

オシャレを特に目指すわけではない その1 からの続きです。

 

オシャレはオシャレで良いが

これが普通の格好だ、ここからがオシャレと見做されるレベルだ、といった線引きがあればわかりやすいのですが、人によってファッションの好みや捉え方が異なります。

もちろん誰が見ても「あの人はオシャレ」と思われる人もいるわけで、そこには着こなし方のコツや法則が存在しているのでしょう。それに従えばオシャレというレベルに自分を持っていくことも可能だと思います。

 

ただ、オシャレになることが一番上というわけでもないような気もします。また、オシャレだとは思うけど自分の好みのスタイルではない、と感じることもあるでしょう。


出来れば、オシャレはオシャレで良いとして、もう一つ、オシャレの手前の価値観というものも考えていきたいと思うのです。自分の着たい服を着て、ダサくなければいいじゃないか、と。ごくありふれた服装で、目立つことも無く、自然なスタイルがいいじゃないか、と。そして、間違った着こなしとか、おかしな色使いといったことで失敗しないために、ファッションについても興味を持てばいいと思います。


ただ「失敗しないために」だけなら、ネガティブよりな考えになってしまいます。ポジティブにファッションを考えていくために、見映えする着こなし、スッキリした着こなし、かっこいい着方みたいな観点を入れていくのが良いと感じます。

 

自分の着こなしをすることが大事

そしてポジティブ要素を示す際に適当な言い方となると、ファッションの場合どうしても「オシャレ」という言い方が出てきます。そのためこのブログでも、「オシャレ」という表現も多くなっています。

 

しかしそれは、人よりオシャレになりましょうという意味ではなく、自分の服装が普通であるため、あるいはまた、少しかっこよくなるための着こなしという意味での「オシャレ」ということです。少しかっこよくなる着方がわかれば、それだけでファッションに対する自信が少しずつ湧いてきます。

 

一定のレベルを押さえた着こなしが身についてくると、何を選んで買えばいいかもわかります。そうなると服について考えることが楽しくなることでしょう。楽しいことが増えるのはいいことです。 

そこでオシャレを追求するとまた窮屈に感じるかもしれません。オシャレは語ろうと思えばいくらでも語れる世界です。一つの完成形に対しても、別のアイテムを合わせれば違う完成形が出来上がります。

 

それはつまり、人それぞれの完成形があるということなのです。そしてそこに人の好みが入ります。この完成形はいいがこちらの完成形はよくない、と。キリがありません。専門家ではない私たちは、もっと自由に服を着たいのです。先ほど「オシャレの手前の価値観」というわかりにくい表現をしたのもこういった理由からです。

 

無駄な装飾をそぎ落とした、肩肘張らないファッションというものが流行している昨今ですが、そのブームが過ぎればまたどういうスタイルが流行るか分かりません。しかしどのようなスタイルが流行るにしろ、オシャレの手前で踏み止まれば、自分のスタイルは影響を受けずに通用するものであり続けるでしょう。それはファッションの理想の形の一つであると言えるような気がします。


そういった意味でも、着こなしの法則やルールにガチガチに縛られるのは避けましょう。ある程度の法則を大体分かっていればいいのです。大体合っていれば、普通以上に見えるものですし、自分の好みの着こなしでそういったレベルになればいいのです。

 そのようなスタイルで、特にオシャレを目指すわけではなく、ただファッションを楽しんでいきましょう。

 

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