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カラーとデザインからファッションまで、ちょっとした気づき

オシャレは誰のためのもの?

このところ大きく変化しようとするファッション、オシャレなんですが、そのオシャレって、一体誰のためのものなのだろうと考えてみたことないですか。何のためにオシャレしてるのだろう、とか。

 

例えば人に認められたい。オシャレだと思われたいという願望があるとして、その時にどうするか。

自分の好みを捨てて、オシャレだと思ってもらえるだろう服装だけを考えるのか。

それとも自分の好きなファッションに身を包みながらオシャレに見える工夫をするのか。

 

人にオシャレだと認めてもらうのが最優先だとするならば、それは他人のためのファッションであるということですね。言い方を変えれば、独りよがりでない服装だと。

しかし、それだと自分のファッション・スタイルを大切にしてオシャレを楽しむという考えは、自分勝手な服装ということに。

 

実は他人に認めてもらうことに必死になり過ぎると、かえってダサくなる傾向が強くなるのです。何故なら、全てを他人の感覚、他人の感性、他人が作った法則に頼り切るからなんです。自分の感性を無視して、ただ操り人形のように外からの情報のみで動いてしまう。自分で考え工夫しているつもりでも、他人の意図した範囲内で脳の中が蠢いているだけ。

 

オシャレは服だけでは成立しません。人が着てこそオシャレです。そして人それぞれに似合う服装があるのだから、自分の感性が大切なんです。その感性を無視した法則頼りのアイテム選びとコーディネートにオシャレを感じられるはずがありませんね。

pic via pinterest

 

自分の好みを押し殺して、もしくは自覚することも放棄して、ただ他人に認めてもらえるための服装って、結局個性の崩壊、それは人間性の崩壊、つまり社会に適合し難い人となってしまうのじゃないでしょうか。他人の視線を気にするあまり、人に認めさせることにこだわるあまり、妄信しているファッション理論だけが正義、好みでないファッションは全て否定する。TPOに配慮することもなく、ただただ極端なシルエット作りやアイテム選びに陥ってしまう。他人のためのオシャレという考え方は、そういう危険性を孕んでいるのです。

 

ファッション、服装は誰のためのもの?それは間違いなく自分のためのものであるはず。もちろん他人に不快な印象を与えない服装を考慮する必要はありますが、それは別にファッションは自分のためのものという意見と相反するものではないですね。他人の評価を気にするよりも、自分の好きなことに素直になり私はこういう人間なんだと表現するためのファッションこそが尊重されるべき。そういう姿勢が自分だけでなく他人の個性も認めていくことになるのであって、決して自分勝手なものではないのです。

 

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